退職金も支払わずに従業員を解雇

  • 2013.09.17 Tuesday
  • 09:12
売上低迷の中、分裂含みのS技研であった。

僕はそのころは国内での営業が主体であったが、正直あまり売れなかった(汗)。S技研の従来の客先はS.y氏ならびにその部下の営業マンが担当していたし(言い訳、言い訳)…。要するに、営業マンとして、会社から期待される数値を上げることができなかった。

で、4年間お世話になったS技研を退社することにした。1996年のことでした。後から考えると、僕の退社は絶妙のタイミングだった。退職にあたり、僕は100%出資金(株式)も返還してもらったし、規定通りの退職金ももらった(S技研に感謝)。僕の後に退職した人は、気の毒なことに出資金も返してもらえず、退職金ももらえなかった人が多かったらしい…。

出資金はともかく、老後の資金など、退職金が支払われないというのは退職者にとっては大変な事態だ。日本の法律では、たとえ会社が倒産しようが、賃金や退職金はすべてに優先して支払われるべきものである、と僕は理解している。従業員(それも定年間近の従業員を会社都合で解雇するとき)の生活を考えれば、それを支払わないという経営者の人間性を僕は信じることができない。

会社は、整理回収銀行などから社屋を競売にかけられたりしたが、2013年9月現在、まだ存続している。「後日支払う」と約束された退職金はいまだに支払われていないらしい。

10年間在籍して、定年間際の社員もいる。その人たちの狂ってしまった人生設計をどう考えているのだろうか?

恐ろしい会社である。

神頼み 新興宗教

  • 2013.09.13 Friday
  • 12:32
S技研の社長はある新興宗教に帰依していた。同じ新興宗教からヘッドハンティングされ、財務関係を任されたTk氏。「朝銀」「興銀」「信用金庫」しかお付き合いのなかったS技研が「都市銀行」とお付き合いがはじまったのはTk氏の功績かな。あと、「株式公開」を打ち上げて、「証券会社」からも融資を取り付け、表面上のS技研の信用力は格段にアップした。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=13

ところが、業界を取り巻く環境、また、S技研自身の商品開発力、販売力(お客様との約束を守らないことが多々あり、一流会社とはみなされていなかった?)が「株式公開」にはついていけなかった。前年、前々年(?)の粉飾決算を自ら認め、まあこの時点で、「株式公開」は自然消滅したのでしょうね。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=37

ここでTk氏と経営陣(後に、社長のS.t氏は、Tk氏に騙されたと言っていましたが…)が取った解決策は…「神頼み」。

Tk氏や、社長のS.t氏が帰依する新興宗教、その絡みで、ビジネスを展開しようとした。「信者が数万人いて、一人当たり1万円づつ売り上げて、数億円になる…」みたいな皮算用でしょう。どの程度、教団の上層部とコミットメントを取り付けたのか、私にはわからないことですが、とにかく大きな生産計画が立てられました。

S技研自身はその製造をできるような会社ではない(業界違いで)ので、白羽の矢が立てられたのが、社長の嫁さんS女史の実家であるK家。ほぼ家内工業のK家にとって、数億円のビジネスは、とても魅力的、さっそく生産にかかりました。原材料やら、アクセサリーやら大量の仕入れも発生、S技研が発注しました。

http://boyakigoto.jugem.jp/?cid=2

フル生産のラインからは続々製品が仕上がります。けれども、一向にその新興宗教の教団や信者に納品される気配がない。社長のS.t氏がTk氏に催促すると、「これくらいの小さな数量では納品できない。もっと大量に製造してください」と逆にハッパをかけられる始末。ますます製造に拍車をかける…。

そういうことが何度も繰り返されて…

結局、教団からの発注というものは存在しないということがわかった。(Tk氏と教団幹部との間にそもそも何らかの約束が存在したのかどうか、私にはわかりません。)

結局、教団専用に特別生産した製品は、一般の消費者に売れるわけも無く、大量に仕入れた原材料、アクセサリーを含め、100%不良在庫となり、S技研は財務上、一層苦しむこととなった。

当然、Tk氏は解雇された。後で聞くと、Tk氏は、S技研に入社する以前にも、他の会社と同様のトラブルがあったらしい…

粉飾決算 これって詐欺では?

  • 2013.09.11 Wednesday
  • 01:12
従業員にとっては、まったくの寝耳に水で。「株式公開」間近の高揚期から、あれよあれよと言う間に転落していってしまったのですが、S技研の経営者達(S氏一族)には、その内実はわかっていたはず。とりわけ、「株式公開」を主導したTk氏には、こういう結果になることは想定内であったはず。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=13

資金繰りに窮したTk氏の取った「奇策」は……

税務署からお金を取ることでした。

前年(+前々年?)度はかなりの黒字決算で、多額の税金を税務署に納めてある。それを、修正申告で赤字にすることによって、納入済の税金を取り戻すことでした。

修正申告自体は普通に税法で認められたことです。でも、修正申告(赤字)が本当であったとして、全体の構図を見ると、違った見方ができませんか?

「株式公開」するということで、従業員や頼母子(社外の第三者、在日韓国人たち)から出資を受け入れ、銀行や、証券会社からも有利な条件で融資を受けているんです。それは当然、前年(+前々年?)度を含めて黒字決算が何期か続いているということが大きなポイントだったでしょう?「株式公開」のために、もし、意図的に粉飾決算をしていたのであれば、立派な詐欺でしょう?関係者がみんな「大人の対応」をとって(コトの顛末に気がつかんかった?)事件化しなかったからよかったけれど…。実際に株式公開しなかった(できなかった)から、事件にはならなかったけれど、もし実際に株式公開にまで至っていたら、新聞(全国紙)のトップ記事にでもなりかねない大事件でしょう?

その当時従業員だった僕は何となく「?」の気分だったけれど、今振り返ってみると、「ずいぶんすごいことをやっていたんだなぁ」と思います。こんな「すごい」会社に在籍していたんだと、ある意味感動します。

かなり裏技 苦境の中で

  • 2013.09.08 Sunday
  • 13:22

Tk氏主導による「株式公開」という掛け声の元、新しい技術を導入しそれを実用化するための技術者数人も人材紹介会社を通じてヘッドハンティングしました。資本も従業員や頼母子からの新規出資があり増強されました。株式公開に向けて、銀行、証券会社も融資してくれました。

目の前の売り上げの数字は伸びないものの、従業員的には、それは過渡的なものであり、株式公開に向けて順調に進んでいるのかな?という印象を持っていました。

ところが、内情はそうでもなかったようで…

急に、従業員の目に見える形で苦境が現れてきました。

当時、バブル後の不況の中で、中小企業に対して「休業補償制度」というものがあった。仕事が減った中小企業が、従業員を解雇せず休業させると、その給料分が国から(雇用保険から?)給付されるという制度だ。雇用を維持して、日本経済の更なる悪化を食い止めようという施策でした。

S技研では、あるとき、「タイムカードを押さないように」との通達が会社からあった。要するに、仕事は今まで通りしながら、「書類上」休業したことにして、給料を国から支給してもらおうということ…。要するに「詐欺」ですね。

新規にヘッドハンティングした技術者に対しては、即「解雇」が申し渡されました。紹介してくれた人材紹介会社には、いろいろと難癖をつけて、規定の「紹介料」を踏み倒し。

「休業補償制度」にも、適用される期間に制限がありますから、制限いっぱいまで利用して、その上で、従業員のリストラにかかりました。多くの従業員が解雇されました。「従業員の雇用を守るため」という趣旨が全然正反対に利用されたリストラでした。

「株式公開」を主導したTk氏は宗教がらみでS技研に入社した人物でした。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=13

Tk氏が取った次の一手には、さすがの僕もあきれてしまいました。

業績に陰りが… 

  • 2013.09.03 Tuesday
  • 07:26
創立10周年記念パーティー、株式公開予定の表明、Sk工業からの技術導入…
更なる技術の開発に向けて、人材紹介会社を通じて、新規に技術者を何人かヘッドハンティングしたりした。

S技研のさらなる飛躍を予感させる明るい話題がいっぱい…
従業員的には、僕はそう信じていました。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=21

事実、銀行も積極的に融資してくれる、証券会社は、「上場」期待で、「新株予約権」付で有利な条件で融資を得られた。従業員や頼母子からの出資もあり、会社的にはお金は結構回るようになった。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=16

Sk工業からの技術導入ができたり、技術者を雇用できたりしたのもそれと無関係ではなかった…と思う。

ところが、今までにない新技術を開発して、大いに産業に貢献した業界ではあったが、技術革新はそこでは留らなかった。ヨーロッパ発の最新技術との競争が激しくなった。また、ユーザー側も、中国などとの競合で勢いを失いつつあった。業界全体が低迷期に入った。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=32

S技研だけは成長していくのではないかとの(僕の)甘い見通しは通用しなかった。S技研の見せ掛けの繁栄は長く続かなかった。それは突然にやってきた。

業界の凋落 市場の縮小が止まらない

  • 2013.08.21 Wednesday
  • 19:56
 創立10周年、株式公開の準備など、前途に大きな夢を掲げたS技研であったが、業界全体で見ると、今までのような右肩上がりの成長は難しくなっていた。

バブルの余韻からデフレ期への移行。高額商品から低価格商品への選好の変化。中国との競合、あるいは、中国への生産設備の移設、つまり国内の空洞化。

そしてなにより、技術の進歩。パソコンの黎明期に、今まで手作業でしかできなかった作業をコンピュータ化するという画期的な装置として爆発的に受け入れられたのだが、コンピュータ関連技術の発展はそこでは止まらなかった。ヨーロッパで、更に根本的に進化させる技術が生み出され、年々そちらの方が優勢になってきた。当初「革命的」と見られた日本発の技術は、日本国内のみで普及し、世界では十分実を結ばない過渡的なアダ花に終わった。

この技術を最初に開発したSk工業も、マーケットが期待通り広がらない中で、あえなく倒産。社長のSk氏は、全盛期には時の風雲児とよばれたものだが、会社倒産直後に亡くなった(自殺といわれている)。会社が倒産した場合、普通、その債権はほとんど回収されることはない。ところがSk工業の場合は、その保険金で、債権者に対して100%配当されたらしい。最後まで風雲児らしい生き様でした。【合掌】

S技研は、Sk工業の倒産と前後して、Sk工業の技術を引き継いでいた(ちゃんと対価を支払って許諾を得たものかどうか不明)。この業界において後発のS技研は、技術的にSk社や他の競合社に遅れている部分が多かった。Sk工業から技術を手に入れたS技研は、その新しい技術を応用して新しい機種の開発、新しいマーケットの開拓を目差し、従業員は大きな希望を持って、頑張っていた。

ところが、従業員30人ほどに成長していたS技研の繁栄も、従業員の気付かないうちに、実は、曲がり角を迎えていた…。創立10周年や株式公開のために発表されていた「好決算」も、実は粉飾に過ぎないことが、後に判明した。

この辺を取り仕切っていたのが、宗教がらみで、S技研の経理部長に収まったTk氏、謎の多い人物でした。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=13

(藤圭子さんが自殺!?ファンだったのに…。【合掌】)

株式公開? 崩壊の始まり

  • 2013.08.08 Thursday
  • 01:48

某新興宗教がらみで、Tk氏がスカウトされ、S技研の経理部長に納まった。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=13

話を聞くと、東京の方でちょっとしたキャリアがあるらしい。それまで、取引銀行といえば「朝銀」「興銀」「信金」だったが、「都市銀行」とも取引が始まり、若手の生きのいい担当者がS技研に出入りするようになった。

どこでどう話が進んだのか、Tk氏の人脈が貢献しているのか、ある日「株式公開を目指す」というお触れが出た。全社員を集めて、証券会社の担当者から社内説明会があった。社員持ち株会の話が出され、株式が公開された場合の実例などが紹介された。うまくいけば「儲かる」おいしい話ではあった。

社員には出資が呼びかけられた。社員30人程度の会社が株式公開?と半信半疑ながら、新株発行に応募するものもちらほらいた。「宝くじを買うよりはいいだろう」と僕も100万円ほど出資に応じることにした。でも、出資に応じた社員は、僕の予想ほど多くはなかった。新入社員である僕を除けば、基本的に、社員は会社をあまり信用していなかったのかな、と今になって思う。

在日韓国人、在日朝鮮人仲間には頼母子講(?)を通じた出資呼びかけもおこなわれた。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=16

それらを掻き集めて、新しい資本金は1千?百?十?万?千円と、思いっきり半端な金額になった。その方面のことはよくわからないが、こんな資本金の額で株式公開というのはありうるのか?いや、ベンチャーなら、出資したい投資家が現れて、何十倍の資本が調達されるのかな?と不思議な感覚だった。

新株が発行され資本金も充実し(?)、S技研は株式公開目指して新しい歩みを始めた。手始めに、それまで経営者一族だけだった株主が、一般従業員や、外部の人間にも広がったことで、株主の従業員を集めて株主総会のリハーサルが行われた。本番の株主総会も無難に乗り切った。

「東ドイツ」の機械を輸入

  • 2013.08.04 Sunday
  • 09:09
 以前にも書きましたが、S技研はヨーロッパにお客さんが多かった。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=18

その中で、旧東ドイツで機械を製造しているメーカーがあった。そのメーカーは自社の機械にS技研のIT技術を採用していた。

当時は、ポーランド民主化、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統合、ソ連崩壊と東側世界が崩壊していく、激動の時代であった。この機械メーカーは、東側世界では一流のメーカーで、販路は東側世界、および、中近東などであった。

西側世界では別のメーカーが同種の機械を製造し、西側世界のマーケットをほぼ独占していた。

当時の技術水準でいえば、一般に西側の機械と、東側の機械は性能差は歴然としていた。東側はほとんど国家経済(計画経済)で運営されていたので、性能が問題となることは少ない。たとえて言えば、東ドイツの国民車トラバント、東ドイツの国民にはそれしか選択肢がないので、みんな争ってトラバントを買っていた。そして「満足」していた。しかし、一旦、西側の車も買えるようになると、トラバントは一夜にして無価値なポンコツと化してしまった。

その機械に関して言えば、東側では最高の機械であった、加えて、価格が安い。S技研とは以前から付き合いがあり、日本にも売りたいということになって、S技研が代理店になった。

当然、日本のお客さんの評価は「???」であった。第一、そういうメーカーが存在することすらほとんど認識されていなかった。どのお客様も、評価の定まった西側の機械を買いたがった。だが、どこの業界にも「新し物好き」「未知の物の可能性に賭ける」人がいます。それで、一台売れることになりました。価格数千万(あまりよく知らないのですが、5千万前後?)。未知数のものにそれだけの投資をするお客様は、当然、メーカーの可能性を信じて、そして、代理店の「本気度」を信じて購入を決断されたと思うのですが…

現実は、多くの方が心配した通り、その機械は、販売前の説明、それに基づく期待値にかなり届かない性能しかなかった。そういう場合、メーカーとお客様の間に入って、すこしでも事態を改善するように努力するのが代理店だと思うのだが…。担当役員(S.k氏)が機械納入後お客様を訪問したことはあったっけ…?僕は現場担当として5、6回は訪問したが、僕の権限でできることは限られているので、忸怩たる思いでした。

その以前に僕の勤めていた会社(日本人の会社)でも似たような状況になったことがあります。その時は、1年半くらい、最初はほぼ常駐、後半でも月に数日お客さんを訪問して、交渉や事態の改善に当たったものでした。最終的には、性能に不満は残っても、代理店さんも「そこまでやってくれたのだから…」と納得するのが、日本人の感性だと思います。(不合理といえば不合理なんでしょうが)

会社間の付き合いの度合いや、代理店歴の長短、儲かり度の大小、単純には比較できないでしょうが、やっぱり、お客様に「期待」を与えて契約した以上、その「期待」に応えようと努力する姿勢は必要なんではないでしょうか?

結局、その機械を買ったお客様とは、「出入り禁止」同然に、お付き合いが切れてしましました。お客様は、その機械で長く苦しまれたと思います。それが主原因ではないかもしれないですが、数年前に倒産されました。倒産後、同業の他の会社が、機械設備一式を引き取ったのですが、その機械は引き取られることはなかった。(30年前、40年前の機械が現役で動いている業界なので、導入して20年未満のこの機械は十分現役で使えなければおかしいのですが…)

「感性の違う会社に就職してしまったな」と思ってしまいました。

10周年記念 成長にカゲリが…

  • 2013.07.28 Sunday
  • 07:44
 会社設立10周年、今から振り返れば、日本経済もバブル期を過ぎて、S技研の業績は、ピークを過ぎつつあった。業界全体で言えば、大手の需要家には一通り入ったかな…という感じ、これからその下のボリュームゾーンに普及していくかな…という期待はあった。S.t氏が一人で創業して、30人規模の会社にまで育て上げた。まだまだ業績は伸ばすんだという意気込みはありました。

主だった顧客や、代理店を招待して、ホテルで10周年記念のパーティーをおこなった。招待した一部上場企業は、さすがに代理出席だったが、中小企業のオーナーや海外の代理店も出席して、まずまず盛況なパーティーであった。

今でも覚えている、ひとつだけ奇妙な点。ソフト担当のAd氏、パーティーの幹事をしていたが、会社の予算が無い中で、個人的繋がりで、友人をボランティアでパーティーの司会に起用した。その司会者、その道ではプロ(セミプロ?)で、さすがに会をうまく盛り上げる、手際のよい司会ぶりだった。が、最初の自己紹介が「私とAd氏はポン友で…」に始まり、パーティーの最初から最後まで、「私とAd氏はポン友で…」のフレーズやAd氏のエピソードが繰り返された。「主催者はS技研でしょう?」「Ad氏のパーティーじゃないよね?」と僕の中では「?」「?」「?」のパーティーでした。

当然会社からクレームが出るはず…と思ったのですが、Ad氏は、社長の帰依している新興宗教の序列では、社長よりだいぶ上らしい。そんな関係もあったのか、この件でS技研とAd氏が揉めたという話は聞かなかった。

http://boyakigoto.jugem.jp/?day=20130710

とりあえず、S技研の創立10周年記念パーティーは成功し、次のステップ「株式公開」に向けて進むのでした。「株式公開」は宗教がらみでヘッドハンティングした経理部長のTk氏が主導していました。(後日、社長は、「あれはTk氏に騙された」と言っていました。)

S技研ヨーロッパを行く

  • 2013.07.20 Saturday
  • 09:59
 S技研はその頃、ヨーロッパにかなり関わりがありました。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=14

従来にない製品を開発し、その業界(ニッチな業界ですが)にIT革命を起こしたといって過言ではないと思います。

頃は、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)、ソビエト崩壊(1991年12月)と東欧が大混乱の中にある頃です。その頃、Sk氏などはヨーロッパの高速道路のサービスエリアでは、横流しされたソ連製の武器(小銃、機関銃、手榴弾)などの密売屋によく声をかけられたらしい。

東西ドイツが統合されたのもこの頃です。

東ドイツには国民車トラバントというプラスチック製の車があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88

西側の車と比べると圧倒的に性能が劣った車だが、当時の東ドイツにはこれしか選択肢がない、東ドイツ中産階級の憧れの車だった。こんな実話があります。

S技研の取引先のA部長、憧れのトラバントの購入を申し込んだが13年待ちと言われた。10年たったところで、ベルリンの壁が崩壊。早速車のディーラーから電話があった、「おめでとうございます。本来なら、あと3年待たなければならないが、今なら即納できますよ」と。A部長、これはラッキーと思って、飛びついた。大金を支払って即引き取ったが、翌週になると、トラバントは無価値になっていた。

S技研の代理店(西側にあります)のB氏、旧東ドイツに出張。街を歩いていてふと見ると、中古のトラバントが売られている。値段を聞くと、帰りの航空券より安い。東ドイツの時代からたびたび当地を訪れていたB氏、早速トラバントを購入して、トラバントを駆って、Auto Bahn 経由で意気揚々と出張から帰ってきた。

まあ、こんな時代です。S技研の機械は順調に売れました。それを動かすコントローラーは、日本のNEC製、今の言葉で言えば、日本にしか存在しないガラパゴスPC。世界標準の(いわゆるPC/AT互換機)は当時Dos/Vと呼ばれていました。日本でDos/V機が普及してくるのは数年後です。

ソフトはS技研ソフト担当のAd氏が作りました。代理店のB氏はそのガラパゴスPCを勉強して、独自のソフトを作りました。S技研のオリジナルソフトは使いにくいからと、機械がヨーロッパに着くやいなや、B氏が作った現地ソフトに入れ替えられていました。もちろん責任者のS.k氏(役員)は知っていて黙認、S技研社内では極秘事項。一生懸命ソフトを作っているAd氏はそんなことは知らない。

機械はS技研オリジナル、コントローラーはNEC(日本製)、だけどソフトは現地製(S技研で作ったソフトは捨てられている、S技研のソフト開発担当者Ad氏はその事実を知らない)。その機械はヨーロッパ中に販売されましたが、ヨーロッパの代理店が販売・メンテナンスをしていましたから、それはそれで実害は無いと言えば言えるのですが…。またS技研としてもソフトを改良する手間が省けるというメリットがある。

だけど、普通のメーカーなら、責任上、また、プライド上、そんなことは許さないと思いますが…。

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