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- 2020.04.24 Friday
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在日韓国人の経営するS技研の話を書いてきましたが、長らく更新が滞ってしまいました。
理由の一つは、その前後で私自身はS技研を退社し、S技研の紆余曲折について、確信をもって書けなかったからです。
当然、昔の同僚や、取引先からいろいろな話を聞きます。ある在日韓国人企業の軌跡として興味深いエピソードも多く、
ぜひ書き残したいと思っているのですが、必ずしも、それらの話の裏づけを取れないことも多い。
また、聞いた事実(点)と事実(点)を結ぶストーリー(線)は、どうしても私の推測が入ってしまいます。
それゆえ、続編「S技研とその末裔たち」は、今までとは違った形式で綴っていきたいと思います。
一種のフィクションと思って読み流してください。
さて、
S技研の社長、S.t氏の父親S.f氏は、敗戦のドサクサに紛れて日本に密入国、そのまま定住してしまいました。
いつの間にか永住権を取得し、その息子たち、S.t氏、S.y氏、S.k氏は日本の学校で教育を受けて育った。
S.t氏(日本名、いわゆる通名である)が設立した会社S技研(日本名、S.t氏の通名を冠している)は、
外見上、普通の日本企業とまったく変わらない。
筆者は、普通の日本の会社と信じて(というか、在日韓国人の会社が存在すること自体ほとんど意識の外であった)、S技研に就職した。
一見、経営者は普通の日本人に見えるし、会社も普通の日本の会社と同じであるが、
ちょっと裏を見てみると、メンタリティーが全く違うことに気が付き、愕然としてしまった。
筆者は、幸か不幸か、4年後に早々と退職することになった。
その間、および、その後、筆者の見たS技研の「てんやわんや」を綴ってみました。