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- 2020.04.24 Friday
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前回の記事はこちら→ M氏の愛国心
M氏自身はもともと日本人じゃない(在日韓国人)し、その辺は葛藤はないのでしょうね…。
お客側も、もし、M氏が日本人の通名でなく、本名(韓国名)を名乗って活動していたら、
日本の業界の人も、そう易々と、自分たちのノウハウを教えることはなかったのでは?
と、私は思うのですが…
その業界で食べさせてもらっている(食べさせてもらった)トップ企業なら、
それなりに、業界に貢献するという意識も必要だと思うのですが…。
当然、自分自身の(自分の会社の)利益は大事だが、恩返しすることも考えてほしい。
業界がちょっと悪くなれば、業界の足を引っ張るという対応でいいのでしょうか?
私的にはメンタリティーの違いを感じてしまいます。
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前回の記事はこちら→Mプロ社、海外でソフト販売
Mプロ社は日本国内の市場が飽和してくると、海外に市場を広げた。
そのソフト開発のノウハウは多くの日本のお客から提供を受けている。
提供者は「あえて日本の産業を守るため」に教えていたのに、
海外に易々とノウハウを渡して・・・
Mプロのあるお客は、こうボヤいていた。
「私がノウハウを教えてあげている間は、呼ばなくても毎週のように来た。
ところが、最近は、国内に見切りをつけたのか、私の方が用事があって電話をしてもちっとも来てくれない。」
私個人は、「愛国心」といっていいのか、
「郷土愛」と言えばいいのか、
やはり、海外の会社ではなく、「日本の業界」に頑張ってほしいと思う。
同業の関係者と話をする機会も多いが、多くの関係者は、
「日本の会社に頑張ってほしい」といい、
バイヤーさんは「多少値段が高くても日本の会社を応援する」という人も多い。
また、そういった理想論と会社の現実の利益(存続がかかっている?)との葛藤に悩んでいる人も多い。
M氏自身はもともと日本人じゃない(在日韓国人)し、その辺は葛藤はないのでしょうね…。
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S技研の韓国・アジアの代理店も、ソフトに関してはMプロ、機械(電子機器)は、S.y商事を頼るという図式になった。
(S.y氏に関しては、各代理店は、S.y氏が従来通り、S技研の担当者であると誤解していたらしい。というか、S.y氏がそのように言いまわっていたらしい。)
上で述べたように、Mプロは、ソフトA、ソフトBについて、国内の市場ではトップ企業となった。
だが、中国などとの競合のせいで、お客である業界自体はますます疲弊し、縮小していった。
日本国内の市場が飽和してくると、Mプロは、海外(韓国・中国。アジア)への販売に力を入れるようになった。
S技研の時代を含めて、M氏は多くの日本のお客からノウハウの提供を受けた。
特に、Mプロ立ち上げ後は、他のソフトメーカーが縮小気味であったため、
日本の産業を守るため、あえて、M氏にノウハウを教えたところも多い。
ところが、Mプロはそれらのノウハウを武器に海外で販売…。
要するに、「うちのソフトを使えば、日本と同じ品質のものが作れますよ」と宣伝してソフトを販売、
日本の業界の技術を海外の業界に渡している…、
日本の業界はますます苦しくなる、その悪循環である。
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普及率や手軽さから考えても、
Windowsが圧倒的に支持される時代になってきた。
競合社を含めて、ほとんどの会社がWindows機用のソフトを開発し始めた。
それゆえ、当然のことながら、多くのお客さんはWindows版のソフトを欲するようになり、
S技研(Unix版)ではなく、Mプロ(Windows版)からソフトを購入した。
また、ターゲットとする業界は、中国などからの輸入(お客さん自身が中国に子会社を作ったり、
提携先を見つけたりして、中国で生産し日本で販売するケースも多い)に対抗できずに、縮小しつつあった。
それゆえ、S技研のライバル(というか、それ以前は、ライバル2社が90%以上のマーケットを押さえ、
残り10%をS技研とその他数社で分け合うみたいな関係だった)の1社が廃業して、他の会社に権利を譲渡、
引き継いだ会社自身は自社では開発できないので、開発済みのソフトをコピーして販売するだけ。
ライバルのもう一社も、新たな開発はあきらめ、既存のソフトをコピーして販売するだけという守りの姿勢に入る。
その間隙を突き、Mプロは業界ナンバーワンの地位を獲得した。
お客側にも、業界のため、Mプロを積極的に育てようという機運があったらしい。
S技研のこのソフトもUnix用に開発されていた。
ソフトAで地位を固めたMプロは勢いに乗って、ソフトBの開発も開始した。
このソフトは、もともとは、他社(K社)が開発したものだが、
M氏がS技研在職中に、K社のソースを無断で持ち出し、
SP社に開発させ、更にその完成間近で、そのソースを無断で持ち出し、
自社開発に変更した、自社開発のソフトと主張した。
いわば2重の著作権法違反といういわく付のソフトである。
S技研、S.kテクノロジー、S.y商事→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=42
S技研はこの件で、K社、SP社両方から訴訟を起こされ負けている。
この当時のS技研における責任者は部門長であるS.y氏で、その下でSEとして支えていたのが、このM氏である。
S技研のこのソフトもUnix用に開発されていた。
JUGEMテーマ:在日特権
前回の記事はこちら→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=51
MプロはプログラマーのN氏がS技研時代の経験をいかしてソフト開発、
M氏がS技研のお客やS技研在職時に作った人脈を使って営業。
S技研のノウハウを取り込んだソフト(S技研のソフトを移植し、
さらに、S技研で自分のものにしたノウハウを追加)である。
前のブログ記事 M氏のこと2 ノウハウを持ち逃げ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=30
M氏退社 これって民族差別では? http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=44
当時、Windows機の機能が飛躍的にアップし、普及していく過程であった。
それ以前はパソコンは能力が低かったので
Unix(普通のパソコンはWindowsが出現する前はDOSで動いていたが、
そのパソコンの機能が低く、こういったソフトには向かなかった)を使ったり、
専用機を使用したりしていた。
ところが、1990年代半ば、Windowsの登場以降、コンピューターの性能が飛躍的にアップし、
Windows機でも実用的に問題がなくなってきた。
普及率や手軽さから考えても、
Windowsが圧倒的に支持される時代になってきた。
競合社を含めて、ほとんどの会社がWindows機用のソフトを開発し始めた。