S技研 復興?

  • 2015.01.19 Monday
  • 00:04
さて、S技研は何とか細々と行き続けてきたようだが、
僕は「実質上は死んだ会社」と思っておりました。

そんな僕が不明を恥じる展開になってきました。

S技研の製品は、購入して即消費するようなものではなく、生産財といわれるものである。一旦S技研の製品購入した顧客は、10年〜20年にわたって、その製品を使用して、経済活動を続けていく。したがって、メンテナンスが必要であり、そのメンテナンスはS技研に頼らざるを得ない。日本全国に広がるS技研の顧客は、固唾を呑んでS技研の動静を注目していた。(別に、あらたに製品を購入するという気はほぼ無いが、購入済みの製品のメンテナンスのためにS技研を必要としていた)

そのS技研、創業者St氏の長男Sj氏、しばらくは新製品の開発などいろいろ努力していたが、先行きを悲観したのかS技研を退社、他の会社のサラリーマンになってしまいました。S技研で技術(メンテナンス)をこなしてきた従業員も整理解雇され、他の会社に転職してしまった。残るは、奥様のS女史とパートのおばちゃん。自社製品のメンテナンス要請にも応じられない状況になってしまいました。

で、僕はこのまま閉店(自然消滅)か…と思っていたのですが…… 異変が起きました。

長男のSj氏が退社した約1年後、次男のSm氏が入社してきて、社長を引き継ぐことになった。

創業者のSt氏、新社長のSm氏、日本全国に散らばる顧客を集めて説明会を開いたのだが、その説明書に僕は心底からびっくりしてしまった。人づてに入手したその説明書には次のような文句が踊っていた。

1.S技研は無借金企業である。

2.本社は自社ビルである。


JUGEMテーマ:在日特権


S技研の現在

  • 2014.04.18 Friday
  • 12:00
JUGEMテーマ:在日特権

前回の記事はこちら→  S技研の現在


比較的業績が好調だったころは、

株式公開をぶち上げて、社員や在日韓国人の仲間(頼母子?)から多額の出資金を集めた。


株式公開? 崩壊の始まり

頼母子講 在日同士で資金集め

銀行、リース会社、証券会社からも、新株引受権のオプションを付けたり、

株式上場をちらつかせて、多額の借金をした。

だが、市場悪化により(?)、株式上場は中止となった。

それどころか、資金繰りに窮したS技研は、

税務署に対して「前期は黒字決算で税金を払ったが、実は赤字だった」と修正申告をして税金の還付を受けた。

勘繰れば、最初から意図的に粉飾決算をして、株式上場を仮装して、

金融機関や投資家からお金を集めたのではないか?


    粉飾決算 これって詐欺では?

という疑惑すら湧いてきませんか?

S技研の現在

  • 2014.04.11 Friday
  • 12:00
JUGEMテーマ:在日特権
 

既述のように、主だった従業員が去り(規定の退職金も支払わずに解雇)、

営業力も技術力も皆無に等しくなったS技研ですが、この後も生き残り続けます。

S技研関連の過去記事はこちら↓


10周年記念 成長にカゲリが…

粉飾決算 これって詐欺では?

退職金も支払わずに従業員を解雇

なぜなら、この種の機械とかソフトというものは一度購入したら終わりというものではなく、

必ずメンテナンスが必要だからです。特に、機械は故障したら、修理が必要です、交換部品も必要です。

ですので、一度S技研から製品を購入したお客は、

10年以上にわたって、S技研に頼らざるを得ないことになります。

それはS技研から見れば、新製品の開発や、新規顧客開拓の努力をしなくても、

安定した商売が続くということになります。

ある意味、うらやましい限りです。

本社競売 嫁の実家が落札

  • 2013.10.28 Monday
  • 18:46
個人的理由のため、しばらく更新していません。また、これからしばらく(約2週間)更新できないかも知れません。お許しください。

S技研はこの後も、赤字を垂れ流しながら(?)存在し続けます。この記事を書いている時点でも存在しているようです。(いまだに、解雇した従業員に約束の退職金を支払ったという話は聞きません。)

さて、北朝鮮の朝鮮総連本部の再競売され、モンゴルのペーパーカンパニーが落札しました。

競売では本来債務者は落札できません。なぜなら、債務者が落札すると、本来の債務以下の資金で、債務をチャラにしてしまうという結果になる可能性があるかららしいです。また、第三者の名義を借りて、実質上、債務者が落札することも禁止されています。だから、このモンゴルの会社に資金提供をしているのが朝鮮総連系の者である場合、このモンゴルの会社に対する売却が許可されない可能性があります。

S技研についても、同じような状況が状況が発生しました。

銀行やら証券会社から借りたお金が返済できなくなったのです(そもそも融資の発端は、粉飾決算の上、株式公開を偽装して金融機関から融資を受けたので、単なる債務不履行ではなく、詐欺の可能性すらあるのではないかと、僕なんかは思ってしまうのですが…)。

http://boyakigoto.jugem.jp/manage/?mode=write&eid=37

とにかく、融資の返済が滞り、その債権は整理回収銀行に買い取られ、S技研の本社、土地・建物が競売されることになりました。落札したのは、社長S.t氏の奥様の実家、K氏でした。

http://boyakigoto.jugem.jp/manage/?mode=write&eid=33

S技研は本社社屋をK氏から賃借(?)して、何事もなかったように営業を続けています。そういえば、S.t氏がK氏に資金を提供して、K氏の名前で入札させたのではないか…という噂もありました。

S.j氏登場 Windows 版開発

  • 2013.10.05 Saturday
  • 18:25
 
独立する人間が相次ぎ、それぞれに権利が分割され、S技研が自社で製造する商品は半減した。

http://boyakigoto.jugem.jp/?cid=8

ソフトA:  Kt氏(退社済)が開発→M氏(SE)、N氏(プログラマー)担当
ソフトB:  社外のK社が開発。S技研がソースを盗用してSp社に開発させる。更にそのソースを盗用して自社開発。
電子器機A: 役員S.k氏が開発(S.k氏は独立)

ソフトA、ソフトBともに、UnixというOS用に開発されていた。Windowsに比べて、メンテナンスなどが非常に難しく、営業的には著しく不利であった。

この系統のソフトの草創期は、1980年前後である。日本でもヨーロッパでも、ほぼ同時期に開発がスタートしている。それまでのCPU8ビットの時代から16ビットの時代になり、ようやくパソコンでこの種の作業が可能となってきたということでしょう。

http://boyakigoto.jugem.jp/?cid=3

32ビット版のWindows が出現するのが1995年(Windows 95)であるから、まだまだ先の話である。メモリーは非常に高価、ハードディスクも容量は少なく、且つ、高価、グラフィックス環境も貧弱でした。特に、当時の主流であった DOS 環境では、使用できるメモリーやら制限がきつかった。世界を見渡しても、Unix でソフトを開発するところが多かった。S技研も、当初はNEC の DOS で開発していたが、より高性能なソフトを開発するため、次期バージョンは Unix で開発し、販売していた。

1990年に Windows が発表されると、32ビットでソフトを開発することができるようになり、世界的にも、Windows に移行するところが多かった。

S技研では、Unix 版がそれなりの成功を収めたので Windows 版の開発は遅かった。SEのM氏が Windows 版のソフトAの開発を主張、プログラマーのN氏とともに Windows 版の開発に着手したのだが、半年後にM氏とN氏が退社、Windows 版の開発は頓挫してしまった。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=44

S技研社長(S.t氏)の長男S.j氏はS技研に入社後、著作権侵害事件を起こしたソフトB(これも Unix で開発されていた)の開発に参画、一からソフトの修行をしていた。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=45

そのS.j氏が、ソフトAの Windows 版開発を細々と続けることになる。

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