S技研ヨーロッパを行く

  • 2013.07.20 Saturday
  • 09:59
 S技研はその頃、ヨーロッパにかなり関わりがありました。

http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=14

従来にない製品を開発し、その業界(ニッチな業界ですが)にIT革命を起こしたといって過言ではないと思います。

頃は、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)、ソビエト崩壊(1991年12月)と東欧が大混乱の中にある頃です。その頃、Sk氏などはヨーロッパの高速道路のサービスエリアでは、横流しされたソ連製の武器(小銃、機関銃、手榴弾)などの密売屋によく声をかけられたらしい。

東西ドイツが統合されたのもこの頃です。

東ドイツには国民車トラバントというプラスチック製の車があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88

西側の車と比べると圧倒的に性能が劣った車だが、当時の東ドイツにはこれしか選択肢がない、東ドイツ中産階級の憧れの車だった。こんな実話があります。

S技研の取引先のA部長、憧れのトラバントの購入を申し込んだが13年待ちと言われた。10年たったところで、ベルリンの壁が崩壊。早速車のディーラーから電話があった、「おめでとうございます。本来なら、あと3年待たなければならないが、今なら即納できますよ」と。A部長、これはラッキーと思って、飛びついた。大金を支払って即引き取ったが、翌週になると、トラバントは無価値になっていた。

S技研の代理店(西側にあります)のB氏、旧東ドイツに出張。街を歩いていてふと見ると、中古のトラバントが売られている。値段を聞くと、帰りの航空券より安い。東ドイツの時代からたびたび当地を訪れていたB氏、早速トラバントを購入して、トラバントを駆って、Auto Bahn 経由で意気揚々と出張から帰ってきた。

まあ、こんな時代です。S技研の機械は順調に売れました。それを動かすコントローラーは、日本のNEC製、今の言葉で言えば、日本にしか存在しないガラパゴスPC。世界標準の(いわゆるPC/AT互換機)は当時Dos/Vと呼ばれていました。日本でDos/V機が普及してくるのは数年後です。

ソフトはS技研ソフト担当のAd氏が作りました。代理店のB氏はそのガラパゴスPCを勉強して、独自のソフトを作りました。S技研のオリジナルソフトは使いにくいからと、機械がヨーロッパに着くやいなや、B氏が作った現地ソフトに入れ替えられていました。もちろん責任者のS.k氏(役員)は知っていて黙認、S技研社内では極秘事項。一生懸命ソフトを作っているAd氏はそんなことは知らない。

機械はS技研オリジナル、コントローラーはNEC(日本製)、だけどソフトは現地製(S技研で作ったソフトは捨てられている、S技研のソフト開発担当者Ad氏はその事実を知らない)。その機械はヨーロッパ中に販売されましたが、ヨーロッパの代理店が販売・メンテナンスをしていましたから、それはそれで実害は無いと言えば言えるのですが…。またS技研としてもソフトを改良する手間が省けるというメリットがある。

だけど、普通のメーカーなら、責任上、また、プライド上、そんなことは許さないと思いますが…。
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