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    「社長が朝鮮名使用を強要」

    • 2013.07.29 Monday
    • 00:04
     

    10周年記念 成長にカゲリが…

    • 2013.07.28 Sunday
    • 07:44
     会社設立10周年、今から振り返れば、日本経済もバブル期を過ぎて、S技研の業績は、ピークを過ぎつつあった。業界全体で言えば、大手の需要家には一通り入ったかな…という感じ、これからその下のボリュームゾーンに普及していくかな…という期待はあった。S.t氏が一人で創業して、30人規模の会社にまで育て上げた。まだまだ業績は伸ばすんだという意気込みはありました。

    主だった顧客や、代理店を招待して、ホテルで10周年記念のパーティーをおこなった。招待した一部上場企業は、さすがに代理出席だったが、中小企業のオーナーや海外の代理店も出席して、まずまず盛況なパーティーであった。

    今でも覚えている、ひとつだけ奇妙な点。ソフト担当のAd氏、パーティーの幹事をしていたが、会社の予算が無い中で、個人的繋がりで、友人をボランティアでパーティーの司会に起用した。その司会者、その道ではプロ(セミプロ?)で、さすがに会をうまく盛り上げる、手際のよい司会ぶりだった。が、最初の自己紹介が「私とAd氏はポン友で…」に始まり、パーティーの最初から最後まで、「私とAd氏はポン友で…」のフレーズやAd氏のエピソードが繰り返された。「主催者はS技研でしょう?」「Ad氏のパーティーじゃないよね?」と僕の中では「?」「?」「?」のパーティーでした。

    当然会社からクレームが出るはず…と思ったのですが、Ad氏は、社長の帰依している新興宗教の序列では、社長よりだいぶ上らしい。そんな関係もあったのか、この件でS技研とAd氏が揉めたという話は聞かなかった。

    http://boyakigoto.jugem.jp/?day=20130710

    とりあえず、S技研の創立10周年記念パーティーは成功し、次のステップ「株式公開」に向けて進むのでした。「株式公開」は宗教がらみでヘッドハンティングした経理部長のTk氏が主導していました。(後日、社長は、「あれはTk氏に騙された」と言っていました。)

    Ao氏のこと 北朝鮮系

    • 2013.07.24 Wednesday
    • 19:13

    S技研の弱電関係を任されているのがAo氏。朝鮮学校を卒業した北朝鮮籍らしい。S技研では唯一の北朝鮮人脈かも。

    S技研自慢の最新機械の電気設計(電子基盤)を担当、社内では、その技術に絶大の信頼をおかれていた。私も、電子回路のことは、右も左もわからぬ素人だから、そんなものかと、彼の技術を疑うことはなかった。

    彼は、体に問題を抱えているせいもあり、出張というものをするのをほとんど見たことがない。海外、国内、S技研の他の社員が走り回っている間にも、ほとんど社外に出ることがない…、というか、会社に出社することすら稀だった。あまり姿を見ないせいもあってか、「電気設計の神」として崇められる存在だった。

    S技研が海外に販路を拡大できたのも、彼の力が大きい…、とみんな信じていました。でも、ちょっと待てよと…、僕は、最近思います。彼の貢献を否定はしません。それは否定しませんが、S技研の機械が次から次へと故障するのはどうして?機械的な問題や、ソフトや、いろいろ複合的な要因はある。でも、プリント基板や、電子部品が次から次と故障する原因は、設計そのものの問題もあるのでは?タイミングの取り方や、電流の容量やら、ノイズ対策やら、設計に甘いところがあったのかも…、過去を振り返ったとき、今になって、そう思います。

    変な韓国人1 夜の英語はペラペラ

    • 2013.07.23 Tuesday
    • 12:56
     これはS技研を退職した後のことなんですが、

    あるヨーロッパの会社が、アジア支社を上海に開くことになり、韓国にも事務所がほしいなあ、ということになりました。従業員(1人の事務所なので、所長兼、営業件、事務員件…みたいな感じですが)を探すことになりました。どういう伝手で応募してきたのか、25歳くらいの韓国女子と上海で会うことになりました。丁度、上海支店のオープニングパーティーだったので、面接というか、その子を含めて、和気藹々と食べたり飲んだりしました。

    オーストラリアで働いていたということで、英語もぺらぺら(僕なんかをはるかに上回っている)、人当たりもいい、話題も豊富、よく気もつく、楽しい女性でした。おまけに、名古屋の姉の焼肉屋で手伝いをしていたこともあるということで、日本語も多少理解する。今まで、オーストラリアで働いていたが、これからはソウルに帰って住みたいと言っていました。

    ヨーロッパの社長、彼女のことが非常に気に入って、「即採用」ということになりました。

    一ヶ月くらい上海で研修して、その後韓国に赴任という段取りで、彼女はオーストラリアに準備に帰りました。その後、上海に来たのですが…

    結局、「不採用」になりました。理由は、「語学力」「理解力」だったらしいです。

    夜のパーティーでは、あれだけ、才気あふれる会話をしていたのですが、昼はほとんど話せない。これから販売する商品を説明しようとしても、ちんぷんかんぷん、通じない。夜の会話は、世間話や人の気を逸らせない会話ができるのですが、昼になると、普通の、常識的な会話すら通じない。ごく簡単な英語で商品を説明しても、全然理解している風でない。その落差に、上海支社のスタッフ全員があきれていました。

    オーストラリアで何の仕事をしていたか、私は聞き漏らしましたが…

    S技研ヨーロッパを行く

    • 2013.07.20 Saturday
    • 09:59
     S技研はその頃、ヨーロッパにかなり関わりがありました。

    http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=14

    従来にない製品を開発し、その業界(ニッチな業界ですが)にIT革命を起こしたといって過言ではないと思います。

    頃は、ベルリンの壁崩壊(1989年11月)、ソビエト崩壊(1991年12月)と東欧が大混乱の中にある頃です。その頃、Sk氏などはヨーロッパの高速道路のサービスエリアでは、横流しされたソ連製の武器(小銃、機関銃、手榴弾)などの密売屋によく声をかけられたらしい。

    東西ドイツが統合されたのもこの頃です。

    東ドイツには国民車トラバントというプラスチック製の車があった。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88

    西側の車と比べると圧倒的に性能が劣った車だが、当時の東ドイツにはこれしか選択肢がない、東ドイツ中産階級の憧れの車だった。こんな実話があります。

    S技研の取引先のA部長、憧れのトラバントの購入を申し込んだが13年待ちと言われた。10年たったところで、ベルリンの壁が崩壊。早速車のディーラーから電話があった、「おめでとうございます。本来なら、あと3年待たなければならないが、今なら即納できますよ」と。A部長、これはラッキーと思って、飛びついた。大金を支払って即引き取ったが、翌週になると、トラバントは無価値になっていた。

    S技研の代理店(西側にあります)のB氏、旧東ドイツに出張。街を歩いていてふと見ると、中古のトラバントが売られている。値段を聞くと、帰りの航空券より安い。東ドイツの時代からたびたび当地を訪れていたB氏、早速トラバントを購入して、トラバントを駆って、Auto Bahn 経由で意気揚々と出張から帰ってきた。

    まあ、こんな時代です。S技研の機械は順調に売れました。それを動かすコントローラーは、日本のNEC製、今の言葉で言えば、日本にしか存在しないガラパゴスPC。世界標準の(いわゆるPC/AT互換機)は当時Dos/Vと呼ばれていました。日本でDos/V機が普及してくるのは数年後です。

    ソフトはS技研ソフト担当のAd氏が作りました。代理店のB氏はそのガラパゴスPCを勉強して、独自のソフトを作りました。S技研のオリジナルソフトは使いにくいからと、機械がヨーロッパに着くやいなや、B氏が作った現地ソフトに入れ替えられていました。もちろん責任者のS.k氏(役員)は知っていて黙認、S技研社内では極秘事項。一生懸命ソフトを作っているAd氏はそんなことは知らない。

    機械はS技研オリジナル、コントローラーはNEC(日本製)、だけどソフトは現地製(S技研で作ったソフトは捨てられている、S技研のソフト開発担当者Ad氏はその事実を知らない)。その機械はヨーロッパ中に販売されましたが、ヨーロッパの代理店が販売・メンテナンスをしていましたから、それはそれで実害は無いと言えば言えるのですが…。またS技研としてもソフトを改良する手間が省けるというメリットがある。

    だけど、普通のメーカーなら、責任上、また、プライド上、そんなことは許さないと思いますが…。

    メモリが足りない! お客様大迷惑

    • 2013.07.17 Wednesday
    • 13:08
     当時メモリーは非常に高価だった。1M(メガ)1万円以上!100Mのメモリーを積もうとすると、メモリーだけで100万円以上!今なら、4G(ギガ)、8Gくらい、普通に積んでいます。価格も、8Gで6、600円!

    http://kakaku.com/item/K0000320521/

    S技研のソフトでは必要なメモリーは表示したいサイズ、色数に比例する。したがって、最初の仕様打ち合わせで、どれくらいのサイズで、何色を使うかをお客様と打ち合わせする。

    お客様、「これくらいのサイズで、5色使いたい」、「あ、そうですか。それなら、メモリーが200万円かかります。その他のハード、ソフト開発を含めて、800万円かかります…」みたいな感じです。

    ところが、計算途中で15色くらいの色を使う必要があることが、受注後判明。お客様としては、当然、「最終的に5色要る」ということであって、途中どんな計算するか、計算途中で何色いるか、そんなことはわからない。当然、競合他社の価格提示は、最終的に必要な色数で計算されるはず。

    S技研の場合は、そのままのメモリー容量で、何くわぬ顔で納品したそうです。

    メモリーが足りないと、ソフトは意図通りには動かない。いざ使おうとすると、そんなソフト(原因はハードの方ですが)使える訳がない。私の入社前のことだったし、入社後その担当ではなかったので、誰が責任者で、どういう風に対処したのか詳しくはわからない。

    回り回って聞いた話では、「お客様の指定した色数でメモリーを実装したので、メーカーの責任ではない」とクレームに応じてくれなかったらしい。正常に使うためにはメモリーの追加が必要で、追加料金を請求されたらしい。お客様は、「それは話が違う」ということで、支払拒否、何年か(4年以上)にわたってクレームになっていました。その間お客様は商売に差し障って、大変な迷惑をおかけしたと思います。

    納品後、何年も何年も、延々とクレームがあり、一向に解決されない。私がS技研に在社したのは約4年間ですが、入社前から、退社時までクレームが解決されることはなかった。(私の退社後、解決したのでしょうか?)

    一時的に損をしても、お客様に満足していただければ、追加注文もあるかもしれないし、評判が上がって、回り回って他のお客様から受注があれば(バブルの余韻が残っていて、IT化に先を争って投資する時代だった)、【結局は得】と、私は思うのですが…

    まして、何億円単位の使途不明金がでるくらい儲かっているときであれば、お客様のクレームに応じない理由なんて何ひとつないと思うんだけれど…

    足りないのはメモリーではなく、S技研の知恵だった。

    頼母子講 在日同士で資金集め

    • 2013.07.15 Monday
    • 16:40
    「頼母子」と呼んでいいのかどうか…。無尽とか、韓国で契と呼ぶシステムとは違うとは思うが…

    S技研の社長S.t氏は、ときどき、在日韓国人の集会に顔を出していた。ある日、海外からのお客さんを連れて行くから、その通訳として参加するよう命ぜられた。

    会は、どっかの食べ物屋の別室かどこか(6畳くらいの和室)であった。食事とか、酒とかは出なかったように記憶している。

    焼肉屋とか、自営業の在日韓国人が6、7人集まり、要するに、そこで、S技研に投資を勧誘するわけである。その道具立てとして、「外人」、「英語」、「通訳」が出品されたみたいなものかなぁ…。

    こちらはスーツにネクタイだが、向こうは自営の仕事帰り(仕事中)のおっちゃんの集まりなので、作業服を着たおっちゃんたちにギラギラとした目で品定めされ、強く違和感を感じたのを覚えています。

    そのお陰で、数百万の投資が決定したらしいが、S技研はその後倒産したので、そのおっちゃんたちのお金はどうなったのかなぁ。私の退職後のことなので、定かではない。

    これはひどい著作権侵害

    • 2013.07.13 Saturday
    • 12:40
     S技研はソフトを販売していました。そのソフトは、在日北朝鮮系K社が開発したものです。開発を担当した人はAさん、やはり北朝鮮系なのか、韓国系なのか、それとも日本人かどうかは不明ですが人当たりのいい、穏やかな人でした。このソフト、1セット何十万円かのロイヤリティーを払ってS技研が販売(ソフトを提供されていて、メンテナンスができた)して、その業界ではそこそこ売れていました。でも、コンピュータが急速に進歩する時代ですので、もっとよいソフトを作れば、もっと売れるだろう。もっと儲かるだろう、とS技研は考えた。

    そこでS技研は、もともとの開発者であるAさんが別のソフト開発会社(Sp社)に転職した機会に、Sp社と契約して改良版を作ることにした。K社からメンテナンス用にS技研に提供されていたソースがSp社に開示された。再び担当となったAさんは元のソースの多くをコピーして新しいソフトを作ろうとした。その一方で、S技研はK社との契約を一方的に解除。契約された1セット何十万円かのロイヤリティーを免れようとした。

    ここまでは、よくある話なんですが…

    S技研は、新しいソフトが開発されている途中で、またまたSp社との契約を一方的に解除、その開発途上のソースを持ってきて、自社で開発を続けた。担当は新入社員(途中入社だから、ソフトの経歴・実力は十分)のKさん。そのKさんが完成させたソフトをS技研は日本の国内外で販売した。もちろん、K社、Sp社に所定のロイヤリティーや作業料を支払わなかった。そのソフトがまたよく売れました。日本国内、弟のいる韓国、台湾、タイ、マレーシア、インドネシア、中国…。そのころは僕はS技研を退社していましたが、S技研は随分儲かったことでしょう。

    この件で、K社、Sp社、両方から訴えられたのは言うまでもない。K社とS技研との訴訟は朝鮮戦争(北朝鮮VS南朝鮮)と僕は呼んでいました。そのころは僕は退社していたので、K社から僕のところにS技研の情報を探りによく来ていました。もっとも、僕はこの件にはほとんどかかわりが無かったので、あまり役に立たなかったと思います。

    ここまで悪質な著作権侵害はあまりないのではないか…。もちろん、裁判で負けて、損害賠償させられます。

    それを主導したのが、部門長であるS.y氏といわれている。もちろん会社でのことだから、社長であるS.t氏にに最大の責任がありますが…。

    このS.y氏は、S技研退社独立後も、あちこちで訴訟をおこされます。仕入れてもお金を払わない、代理店には販売手数料を払わない、S技研の代理人と嘘をついて契約を取ってくる、ついにはS技研のホームページにまで「この人の言うことを信じないでください」と警告を張られる始末。これは後日の話です。

    詐欺事件に巻き込まれる

    • 2013.07.11 Thursday
    • 12:42
     ある日海外から封書の手紙が舞い込みました。(その頃はメールも普及していない頃なので)

    詳しい内容は忘れましたが、アフリカの国からです。大統領がクーデターで追放されたが、残された財産がある。私はその前大統領の一族で、その財産を持っている。反大統領派が国を抑えているので、普通の方法ではお金を持ち出せない。その国の友好国であるヨーロッパのある国に輸出した物品の支払という形でなら決済できる。ついては、S技研の機械を発注するので、その支払という形で何百万ドルを決済する。支払を受け取ったら、私がその国に出かけるので、そこで総額の70%を現金で返してくれ。残りの30%は手数料としてS技研に差し上げる。輸出した機械は、私には用がないから自由に処分してくれていい、というような感じの内容でした。

    今時の「振り込め詐欺」みたいに、とっても怪しい内容なのですが、「ヨーロッパの第三国」「先方から先に支払があり、その70%を返還するだけ」「機械が売れる(30%もあれば機械代金としては十分)」「万が一の場合も、機械は自分の手の中にあるから、別に損はない」などと、すっかり信じ込んでしまいました。社長のS.t氏、経理部長のTk氏、都市銀行の出入りの担当者、みんなが「これは本物だ」「万が一の場合もリスクは無い」と判断して、話に乗ることになりました。

    いよいよ、アフリカで契約締結という段取りとなり、僕と、上司のS.k氏と二人で、空港の検疫所まで黄熱病の予防接種に行きました(かの国に入国するには予防接種が必要)。ワクチン接種後、10日間待機する必要があります。その間に航空券の手配(ヨーロッパの第三国経由)、先方とのスケジュールの調整をしていました。

    ある朝新聞を見ると

    ある県の中小企業の社長が、儲け話に乗って、アフリカ行って、現地で監禁された。身代金として数千万円支払って開放された。

    これだ!ということになり、もちろん、アフリカ行きは即刻中止となりました。お金や商品の流れにはリスクは発見できなかったんですが、本当のリスクはこれだったんですね!

    で、

    僕が万が一アフリカで監禁されたとして、S技研は、何千万の身代金を払ってくれたでしょうか?

    大きな疑問です。

    Tk氏 株式公開を主導

    • 2013.07.10 Wednesday
    • 09:51
     S技研には、怪しげな宗教の信者が多かった…、と言っても、全員とか大多数とかいうわけでもないのだが…

    社長のS.t氏、オーナー(S.t氏の父)のSf氏、その他、従業員もちらほら…。

    その宗教の内容は僕は興味ないし、全くわからない。どっかの新興宗教?その教団内部では、従業員のAdさんの方が、.St氏やSf氏より序列が上、みたいなことが従業員の間で囁かれていた。

    その宗教の信者つながりで、Tk氏が経理部長にヘッドハンティングされて、S技研に入社。Tk氏自身は日本人なのか、在日なのか、わからない(通名!廃止してほしいですね。)が…。東京でキャリアを積んで、多くの人脈があるという触れ込みで、非常に人当たりの良い、温厚な人物だった。外見も長身でハンサム、それまでのS技研の従業員とは違っていた。

    S技研も、創業10周年を期に株式公開をするという目標に向かって、Tk氏をスカウトしたということ。それまで「朝銀」「興銀」が主力銀行だったけれど、日本の都市銀行とも取引が始まって、前途に希望を感じさせる頃でした。

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