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- 2020.04.24 Friday
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顧客である業界がどんどん縮小(斜陽産業)する中で、S技研も低迷状態に陥った。
S技研は、僕の入社頃から、S.y氏(部門長、社長の次の弟)が担当するソフト部門(その下にSEのM氏、プログラマーのKt氏、プログラマーのN氏)と、S.k氏(役員、社長のその下の弟)が担当する電子器機部門(僕もその配下でした)があり、S.y氏、S.k氏、兄弟ながら、仲が悪かった。気質も全然違う。S.y氏は契約を平気で破る、約束したお金は払わない、信頼関係を破壊する(もちろん最終責任は社長である、S.t氏にある)など、私の見る限り、かなり危ない人物だった。以前に述べた、著作権侵害(2重の著作権侵害)事件もこの人の発案だったらしい。
http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=15
http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=30
http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=26
S技研全体は販売が低迷していたが、S.k氏の率いる電子器機部門は、ヨーロッパなど海外市場があり、比較的堅調だった。
兄弟(社長のS.t氏、部門長のS.y氏、役員のS.k氏)間でどんな話し合いがあったのかは分からないが、S.k氏が独立をすることになった。S.k氏が自分の会社で、新しい機構の電子器機を開発しながら、同時に、従来の機種はS技研で販売、S.k氏は引き続きS技研の役員として電子器機部門を率いた。
そういう形で、S技研の分裂が静かに始まった。これ以降、S.k氏の会社(S.yテクノロジー)の本格的稼動、S.y氏の独立(S.y商事)、有力なお客がスポンサーとなって別会社(Aマシナリー)の分離独立、SEのM氏とプログラマーのN氏による独立(Mシステム)など、S技研の分裂と言うべきなのか、増殖と言うべきなのか、そういう動きが続きます。もちろん本体のS技研も、苦しいながら、存続します(S社長の隠し資金が役にたった?)。
http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=11
いままで、S技研という、一つの在日韓国人の会社だったが、次々独立してそれぞれが違う個性を持った会社となっていく。ただ、やっぱり、普通の会社と違う(言葉が軽い、約束が緩い)的な傾向がすべての会社に共通してあったような気がします。ちなみに、僕自身も独立して自分の会社を立ち上げることになるのですが、僕自身に染み付いた「S技研的思考」から抜け出すのに、やはり、2年くらいかかったような気がします(お客様、ご迷惑をおかけしました)。
Tk氏主導による「株式公開」という掛け声の元、新しい技術を導入しそれを実用化するための技術者数人も人材紹介会社を通じてヘッドハンティングしました。資本も従業員や頼母子からの新規出資があり増強されました。株式公開に向けて、銀行、証券会社も融資してくれました。
目の前の売り上げの数字は伸びないものの、従業員的には、それは過渡的なものであり、株式公開に向けて順調に進んでいるのかな?という印象を持っていました。
ところが、内情はそうでもなかったようで…
急に、従業員の目に見える形で苦境が現れてきました。
当時、バブル後の不況の中で、中小企業に対して「休業補償制度」というものがあった。仕事が減った中小企業が、従業員を解雇せず休業させると、その給料分が国から(雇用保険から?)給付されるという制度だ。雇用を維持して、日本経済の更なる悪化を食い止めようという施策でした。
S技研では、あるとき、「タイムカードを押さないように」との通達が会社からあった。要するに、仕事は今まで通りしながら、「書類上」休業したことにして、給料を国から支給してもらおうということ…。要するに「詐欺」ですね。
新規にヘッドハンティングした技術者に対しては、即「解雇」が申し渡されました。紹介してくれた人材紹介会社には、いろいろと難癖をつけて、規定の「紹介料」を踏み倒し。
「休業補償制度」にも、適用される期間に制限がありますから、制限いっぱいまで利用して、その上で、従業員のリストラにかかりました。多くの従業員が解雇されました。「従業員の雇用を守るため」という趣旨が全然正反対に利用されたリストラでした。
「株式公開」を主導したTk氏は宗教がらみでS技研に入社した人物でした。
http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=13
Tk氏が取った次の一手には、さすがの僕もあきれてしまいました。