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- 2020.04.24 Friday
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ソフトAで地位を固めたMプロは勢いに乗って、ソフトBの開発も開始した。
このソフトは、もともとは、他社(K社)が開発したものだが、
M氏がS技研在職中に、K社のソースを無断で持ち出し、
SP社に開発させ、更にその完成間近で、そのソースを無断で持ち出し、
自社開発に変更した、自社開発のソフトと主張した。
いわば2重の著作権法違反といういわく付のソフトである。
S技研、S.kテクノロジー、S.y商事→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=42
S技研はこの件で、K社、SP社両方から訴訟を起こされ負けている。
この当時のS技研における責任者は部門長であるS.y氏で、その下でSEとして支えていたのが、このM氏である。
S技研のこのソフトもUnix用に開発されていた。
JUGEMテーマ:在日特権
前回の記事はこちら→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=51
MプロはプログラマーのN氏がS技研時代の経験をいかしてソフト開発、
M氏がS技研のお客やS技研在職時に作った人脈を使って営業。
S技研のノウハウを取り込んだソフト(S技研のソフトを移植し、
さらに、S技研で自分のものにしたノウハウを追加)である。
前のブログ記事 M氏のこと2 ノウハウを持ち逃げ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=30
M氏退社 これって民族差別では? http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=44
当時、Windows機の機能が飛躍的にアップし、普及していく過程であった。
それ以前はパソコンは能力が低かったので
Unix(普通のパソコンはWindowsが出現する前はDOSで動いていたが、
そのパソコンの機能が低く、こういったソフトには向かなかった)を使ったり、
専用機を使用したりしていた。
ところが、1990年代半ば、Windowsの登場以降、コンピューターの性能が飛躍的にアップし、
Windows機でも実用的に問題がなくなってきた。
普及率や手軽さから考えても、
Windowsが圧倒的に支持される時代になってきた。
競合社を含めて、ほとんどの会社がWindows機用のソフトを開発し始めた。
JUGEMテーマ:在日特権
Ao氏とはS技研で弱電関係担当者でした。
「電気設計の神」といわれていた彼の機械が故障ばかり起こすのが疑問であったが・・・
Ao氏のこと 北朝鮮系 → http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=20
S技研で唯一北朝鮮籍のAo氏、
現在は弱電関係の技師として、今でも、S技研やS.kテクノの仕事を請けてるみたいです。
また、Mプロと電子機器を開発したり、活躍されているみたいです。
M氏、データ持ち逃げしMプロ社立ち上げ→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=51
JUGEMテーマ:在日特権
前回の記事はこちら→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=58
当然S技研にも、メリット(大量の部品購入など)をちらつかせて交渉した。
当時S技研は、上場の夢破れ、営業成績も急速に悪化、有力な従業員も次々去っていく
(多くは、S技研が解雇した)という状況のなかで、
有力な顧客の要請を無視することもできず、結局、電子機器Cの権利を与えてAマシナリーの独立を認めた。
電子機器Cは、それまでにない原理で動作するように考案されていたので、
将来性という「夢」に賭けて出資する者は他にも若干あった。
Aマシナリーは、X社のメンテナンスで日銭を稼ぎながら、
電子機器Cの更なる開発を続けた。
Aマシナリー→ http://boyakigoto.jugem.jp/?eid=43
「成功報酬」(「とりあえず開発中の機械を使ってください。
いろいろ不具合に対処しながら、機械を改良していきます。
うまく稼動するレベルに達したら商品代金を払ってください」)条件で何件か試作機を客先に納入した。